アサーションに関して(3)世の中の上下関係の話など

 上と下。優と劣。誰かが一本の線を引くと右側と左側ができて、違った引き方をすると上と下ができて優等生とか劣等生とか呼ばれたりするけれど、線の引き方を変えると、逆になったりもする。

 上も下もないんだ!と極端に言ってしまうと、残念ながら社会が回らなくなってしまいます。上はあります。立場、能力、経験、年齢、・・・。上の人は下の人に対して指示したり、教えたり、ほめたり叱ったり、時には厳しい言葉をかけたりもします。人と人が関わって、組織を作って、たくさんの分業をしながら、食料品や製品やサービスを生み出して成り立っている世の中は、上とか下とかの仕組みを使いながら回っています。

 問題は勘違い。上下を分ける線は、常に変化していたり、または同時に何本もそこにあったりします。立場や、経験や、能力や、年齢や、持っているお金の額が上の人達が、そこに太い動かない線があると思って、自分がどんな状況でも常に上で、この線は絶対に変わらないことが当然だなんて思い始めると、世界はひびだらけになって、不信感やら、怒りやら、傷つけあいやら、無気力やら、そんなものたちが溢れてしまいます。

 大人は子どもを守る。力や経験や知識が上である大人の役割だと思いますが、以前、30歳を過ぎた僕に、釣りとナタの使い方を教えてくれたのは、小学校4年生の少年。「短いのでいいから、リールの竿を一本買うといいよ」とアドバイスをしてくれ、ナタを振って足下を切り開きながら山を歩くことを教えてくれました。子どもから教育を受けることもあるし、身を守るすべを教えてもらうこともあります。大切なことは、年齢や立場に関係なく、素直で謙虚で柔軟であることなのかもしれません。

 アサーション。上からのアサーション。下からのアサーション。上下関係のないアサーション。社会の仕組みの中でのアサーティブなコミュニケーションの取り方も具体的には様々な形になるでしょう。ただ、心の奥にしっかりと持っていたいのは、「相手も人格を持ち、人権を持った存在であって、その人格や人権を尊重すること」です。あまりにも過激な状況は想定からはずしますが、相手の嫌なところや、受け入れがたいものは、行動、言動であったり、価値観や性格であったりするけれど、その存在自体ではないということです。

 人は失敗を繰り返しながら学び続けるということを思い返しながら、「今」悪い人も「いつか」いい人になるのかもしれない、なんて可能性をちょっとだけ心の奥に持って、その存在とか命とかは否定されるものではない、ということを(時々でも)思うことが大切だと思っています。そして、そんな気持ちを元にしながら、人と人とのなるべく良いつながりを作り出すための一つの方法としてのアサーションということを深く考えていきたいなと思っています。

第3回目はここまで。  NPO法人ぐんまアサーションラボ 高橋祐紀

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