アサーティブに!(46)生きる心の力など

 生物的に生きるというのは、外敵や外的環境の脅威から身を守り食べて眠る、ということでおそらく完結します。(参考:マズローの欲求段階説)

 社会的に生きるという話になると、他の個体との関係、グループへの所属、そしてそのグループの中での自分の居場所や役割、承認というものが、食事によってエネルギーを得るのと同じように、社会的に生きるエネルギーといえるのではないでしょうか?それは、社会的に生きる力であり、生きる心の力につながっていくもの。(うまく表現しきれません)

 では、生きる心の力がうまれる源は具体的には何なのか?人から必要とされているという実感。自分は役に立つ存在だと信じられる気持ち。どうやってその実感を手に入れることができるのか?自分の行動や考え方に対して、褒められたり、尊敬される言葉をかけられること、感謝の言葉をかけられること。

 そして、もう一つ重要なことがあるように思います。自分のやっていることや自分の出した結果を、知り合いが自分のことのように喜んでくれること。自分の悲しみに静かにそっと寄り添い続けてくれること。そんなことと、そんな人がいるということ。

「私の夢」をサポートしてくる人が沢山いるのではなくて、「私の夢」が「私達の夢」になって、サポートしてくれているのでなくて、実現にむけて一緒に進む仲間、または一緒に進むものとして一体化しているような状態であること。

 人と関わる時、人との距離の取り方があります。無関係者、傍観者、遠い所からの援助者、近くにるサポーター、そして目標や問題を当事者として共有する『We』.

 目の前の人がどんな距離感を求めているのか、あるいは、自分はどんな距離を相手に希望しているのか、その求められている距離感や、求めている距離感に近い距離感で接していくこと、あるいは接してもらえることが、様々な社会の中で起こるできごとに対応するための「生きる心の力」にも関係していくような気がします。

 コロナ時代に失われていた、ハイタッチや握手やハグ。人と人との関係性が希薄なって、人々の中に漠然とした自分自身の存在も希薄になっていくような不安もあるように思います。過度になると問題にもなりますが、「温もり」「ふれあい」という言葉もコミュニケーションの重要な要素であると思われるのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまあさらぼ)

 

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