アサーションに関して(2)すごく個人的に思うこと「この社会で生きていくための基本」

神学者のニーバーさんの言葉「ニーバーの祈り」というのがあります。

神よ、願わくばわたしに、

変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと

変えることのできる物事を変える勇気と

その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ。

 詳しい説明は検索してください。僕はこの言葉をアドラー心理学の本「嫌われる勇気」という本で知りました。アサーションに関しても、すっごく大事なことなので、その辺のことをお伝えします。

 これ、つまりこういうこと。「どう考えようが、どう動こうがどうにもならないことってあるよね。例えばやってしまった過去のこと。起きてしまった事実。僕らってどうにもならないことをいつまでもいつまでも考えて悩んでしまって、疲れ切ってしまうけど、過去の事実はどうしたって変わらないし、憎らしいあの人達の性格が明日突然変わることもない。変わるはずもないことを変わったらいいな、なんて思い続けることにエネルギーを使い果たすのじゃなくて、それはそれで静かな気持ちで受け容れるしかなくて、静かな気持ちで受け容れられたらいいな」そして、

「あの人を傷つけるようなことを言ってしまった事実は変えられないけど、あの人に今日、謝ることはできる。大失敗してしまった事実は変わらなくて、恥ずかしいからもう人前にでたくないと思うけど、人は失敗をしながら学ぶんだって割り切るのもありだし、次回のために工夫する材料にすることもできるのかも。『いつか上手に出来るようになった時、きっと話のタネになる』なんて思えば少し気が楽になるかも」

「あの嫌な奴が一瞬で変わることはないけど、付き合い方を変えることはできる。逃げることもできる。戦略を練ることもできる。3日でどうにもならなくても、1年かけて回りの人や環境に影響を与えることはできるかも。何からはじめたらいいか考えてみようかな・・・」

 元の英文はたった4行なのに、説明が長くなってしまいました。最後の4行目とまとめ。「そうは思っても変えられることと、変えられないことを区別することさえ、なかなかできていないんです。そんな区別できる力を神様与えてください」

 これ、アサーションに関してとても重要なことと思ってます。例えば。あなたと私の間に横たわっている事実を冷静にみること。【並んでいる列の私の前にあなたが割り込んできた】そのことによって起きた【私の気持ち】や【回りの気持ち】、【あなたが捉えていた事実】や【あなたの気持ち】。できる限りの確認をして、受け容れるしかない【今あるもの】がそこにあります。

 そして、心の中で怒り続けるのも自由ですが、前向きに、なるべく良い解決に向けて【変えられること】を考えるなら、【たくさんの人が並んでいるという事実】を伝えることや、【急いでいるのかもしれないですが】と相手を認める言葉を添えてみることや【私の気持ち】を伝えること、という行動の選択肢がそこにあります。

 今ここに書いているのは、理想的すぎることだと思ってください。今、これを読みながら激しい暴力的な人間関係を思い浮かべて、無理だ、と思った人もいるでしょう。いつでもアサーティブであることが大切とはいいません。逃げるの一択、関わりを持たないの一択もあります。

 何もかもが短い時間で解決できるわけではありません。が、ニーバーの祈りのような言葉を大切にしながら、身近な人間関係の中に、アサーティブなコミュニケーションを心がけていくことで、少しずつ変化が生まれてくると思っています。「ごめんね。ありがとう」から始まり、「さっきの言葉ちょっと強かったね。ごめん」と言葉で伝えながら、信頼関係を築いていくこと。そして、自分の生きやすさと自由を自分自身で作り出していってほしいな、と思っています。

今回はここまで。

NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまアサラボ)高橋祐紀

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