時代雑感(7)世の中の言葉を慎重に受けとめる

 「子どもは残酷」という言葉を聞くことがあります。実際、そうだと思います。ここで使われている「残酷」の意味は、子ども的な特徴を表したものだと思われます。

 子ども的特徴とは何なのか?

子どもはとても素直です。言葉をまっすぐにそのまま受け取ります。

子どもは正義感が強いです。ルールを破る人を容赦なく攻撃します。ダメなものははダメ、ダメなことはダメなのです。そこに柔軟性や例外は存在しません。

子どもは好奇心が強いです。道徳とか優しさとかを差し置いても、やってみたいことはやってみようとし、見たいものは、見ようとします。

子どもは責任感が強いです。無責任な人を容赦なく、責め立て、任されたのにこなせなかった自分を執拗に責め立てます。

社会に生きる人間としてとても大切なことを学びつつも、子どもは、その知識やルールの使い方の強弱や、曖昧さを許さない一面を持っていて、そして、好奇心には抵抗できない弱さを持っています。

 なんて、極端な強い調子で書いてみましたが、大人達の社会もそう違いがあるわけではなくて、柔軟とはいえない過激な考えを持った人達が集まって、過激な主張を繰り返しています。では、過激な主張はいけないのか、というと、ちょっと考えてしまうんですよね。この社会は、過激な主張をしていかないと、大切なことを聞いてもらえない社会なのかもしれないということ。ひとりの人が本当に苦しくて、小さな声で苦しいので助けて、と言っても、誰も聞いてくれない可能性もあるということ。

 信号機が必要だと多くの人が思っていても、誰か一人が重大な事故に遭うまでは、信号機が設置されることはないというような、そんな現実もあるように思います。

 過激なことをいう人達が多い世の中を良い世の中だとは思いません。過激なことをいわなくても、あるいは、過激な行動を起こさなくても、誰かが聞いてくれて、その変化を起こす話し合いができて、実現にむけて真剣に考え話し合うという行動につなげていくことができるような、そんな世の中であってほしいと思います。

 なんか、ゆるくほっこりした感じで書こうと思っているですが、ちょっと主張的になってしまってますね。気になるようなできごとが、沢山世の中で起きていることも一因なのか、自分の精神状態に余裕がないということの現れなのかもしれません。

 自分の精神状態、相手の精神状態、その状態と状態とのせいでうまくいかないコミュニケーションもあるかもしれません。自分と相手の相性ではなくて、今日の(あるいは、その時点での)状態の相性が悪いということもあるかもしれません。

そんな時は、気持ちをリフレッシュしたり、出直したり、共通する話題を見つけたりして、状態を変えていく必要もありそうです。

 台風が近づいているということですが、なるべく万全の備えをして、気持ちのゆとりを持ちながら、体制を整えておくことが大事かもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまあさらぼ)

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