アサーションに関して(8)戦略

 正しいことが、いつもみんなから支持してもらえるとは限りません。そこには、人間関係やら、力関係やら、好き嫌いやら、色々なものが複雑に絡み合ってしまって、気がつくと何故か、自分が反対派閥の少数派みたいに思われていることがあります。そんな時はがっかりして、投げやりな気持ちになってしまいます。

 出席したある会合は、自分よりもずっと年の上の人達が大半。毎年やってきた行事の人集めが大変になってきたという意見が、たくさんある地区の長の人達から出ていました。よそ者で若者でバカ者だった僕は、「各地区から必ず何人集めるというルールを変えていくことも必要ではないか」と、手を挙げて言ってみたのでしたが、「ずっとやってきた決まりなんだから、簡単に変えるわけにはいかない」と一瞬で完全否定されてしまいます。その5分後、力のありそうな立派な人が言ったのは

「各地区から必ず何人集めるというルールをそろそろ変えていく必要があるのではないか」

 それ、さっき言ったよね?と思って聞いていると、進行の方も含めて、たくさんの人がうなずいて、そうだそうだ、と良い感じに話が進んでいきました。

 そして、僕がどうしたかといえば・・・。泣きそうな気持ちになって、ただ窓の外の空を見ていました。

 もしも全体にアサーティブな雰囲気があって、誰もがアサーティブであれば、もう少し意見を聴いてもらうこともできたのかもしれませんが、現実の世界ではなかなか難しいこともあります。強い人と弱い人がいて、偉い人と存在として小さく(愚かな)人がいて(地元とよそ者、長年の経験者と新人なんてのもあります)、弱く小さい(愚かな)人の言葉は「生意気」という扱いを受け、多くの人には、その生意気な言葉を真に受ける人だと思われたくない事情などもあるわけです。複雑です。

 少し難しい話になってしまうかもしれませんが、アサーティブな社会を作っていくためには、気持ちとしてアサーティブであることに加えて、戦略(ストラテジー)を持った伝え方も必要になってきます。しっかりと事実を確認し合い共有しながら自分の思いを伝えていくDESC法というのも戦略の一つと言えます。(別ページにDESC法についてざっくりと書いてありますので参考にしてください。)まったくアサーティブでない環境をアサーティブな環境に変えていくには、またアサーティブでない人とアサーティブな会話をしていくには、自分と同じ意見を持つ味方を作っていくことや、事実をしっかりと確認しあえる状況を作ることや、時間をかけることも必要となるでしょう。

(なんか難しい話になってきてしまった・・・)

 話を会合の例に戻して、じゃあ僕はどうすれば良かったのか?まず、状況を考えてみると・・・。そこに集まっている人達はほぼ全員が長い時間かけて強く結びついている共同体のひとだったこと。今までも自分たちで話し合いながらたくさんのことを解決して今日に至っていること。僕は人を集める係ではないこと。

僕は過去からの流れを何も知らないこと。僕は意見を求められているわけではないのに、これが正しいと押しつけるように自分から意見を言ったこと。そして、まだあまりよく知らない人達から一目置かれたいという欲望が僕にはあった気がします。

 僕はそんな中で、自分とはほとんど利害関係のないできごとに対して意見を言う必要などなくて、みなさんがどう解決していくのかを見ていることが重要で、その社会を知り一人一人と少しずつ親しくなっていくことが、その時の僕には大切なことだった。時には非主張的(ノンアサーティブ)であることを選択するということもありなのです。

 そして自分が本当に正しいのか。正しいと思って生きていたいけれど、何が正義かはとてもとても難しくて(トロッコ問題なんてのもあります)、謙虚さを忘れずにいることも大切だと僕は思っています。

 レストランで借りたトイレが少し汚れていたりすると、軽くブラシでこすってしまおうか、でもその行為は行き過ぎで、店員さんに対して失礼か、なんてどっちが正しい行為かなんてしばらく考えて、時にはこすってみたり、時には見過ごしてみたり、そんな軸のない自分が、時には嫌いで、時には可愛い気がしてみたり・・・。

 なんか、ばかですね。

第8回。といこうことで、長くなりましたが、終わります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまアサラボ)高橋祐紀

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