アサーションに関して(6)人と人と、自由

僕らの住む世界は、人と人が関わり合うことによって作られています。

逆に、人と人が関わりあうことに障壁が出てくると、この世界は危うくなってしまう、なんて言えるのかな・・・。

表現の自由。人は色んなことを思い、色んな言葉を口に出すわけですが、今のインターネットの仕組みは強力すぎて、大きな悪意はもちろん、心の中にとどめておけばよかった小さな悪口も、言い間違えも、あっという間に拡散し誰かを傷つける言葉になってしまい、さらには、逆に発信者が叩かれるなんてことも起きてしまうんですよね。(ネットの拡散の仕組みがおもしろくて、とんでもない悪ふざけをする人もいますが)

人を傷つけたり、大きな迷惑をかける人が増えると自由のはずだったものに、ルールが増え、制限が増えていって、どこに自由があるのか、わからなくなってしまったりもします。ざっくり言うと、表現の自由はあるけれど、人を傷つける自由というのはない、ということなんだと思うのですが。ただ、コミュニケーションにおいて、傷つける言葉だったのか、そうでなかったのかは『受ける側』の反応だというところが、難しいところです。

人々が相手の心を読み合い想像しながら、誤解をたくさん生み出しながら進んでいく社会の中では、相手をどう思っているとか、相手にどう思われているとか、心のエネルギー消費が激しいように思います。だからといって、何でも言ってよいとなると、人を傷つけることが多くなりそうです。

アサーションにおける大きなルール。「自分を尊重する」「相手を尊重する」

このルールを心と体に刻みながら、「現状を確認して、自分の意見や思いを伝えていく」という態度が、表現の自由とも関係していくような気がします。

偏った価値観から出てくる悪口や根拠のない「誹謗中傷」から、人格の否定ではなく議論する余地をしっかり持っている「批判」へ。傷つけ合いではなく、より良いものへ向かうための話し合いへ。

アサーションが浸透していく先にあるのは、少しだけ明るい自由な社会。言葉にして伝え合ってよいという価値観が今よりもはっきりとした社会。そしてそれは、生きづらさの緩和のステップが一歩進んだ社会なのではないか、そんなふうに思うのです。人と人が関わり合いながら、より大きな自由を手にしていくステップなのではないかと思うのです。

第6回目はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。

NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまアサラボ)高橋祐紀

 

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