アサーション(27)できることから
様々な考えがあります。「挨拶はしたほうがいいのか?」若手の社員がそう言った、なんて話も。
今時の若い者は・・・と言ってしまえば、そこで思考停止してしまって、不満やらイライラした気分が残るだけかもしれませんが、まずは、そんなふうに思うに至るには、どんな原因があったのか考えてみた方がよさそうです。
先輩達が、まともに挨拶を返してくれないとか、先に帰る時に挨拶をしたら嫌な顔をされて、そーっと帰った方が良いと思ったとか。きっと居心地の悪さを毎日感じながらすごしてきたんだろうな、と思ってしまいます。
挨拶に限らず、また仕事以外の学校や家庭でも、あることが、精神的に、または物理的に負担であれば、それをやりたくなくなります。少し負担であっても、必要なことだと思えれば続けるでしょう。それが楽しみだったり喜びだったりして、気軽にできることだと思えれば率先してやっていくことにつながるでしょう。
できる限り負担になることを取り除き、できる限り喜びや楽しみに結びつく仕組みを作り、どうしても負担になることに関しては、それが役に立つ必要なことであって、誰かの喜びにつながっていることがわかるようにする、そんなことが大切です。
では、そのためにどうするのか?どんな環境作りが必要なのか?
挨拶をしたら、気持ちの良い挨拶がいつも返ってくる。→挨拶することへの負担軽減、小さな喜び、小さな信頼へ。
情報をしっかりと共有する。必要な情報が共有されていないことが分かった時は、速やかに共有したり、素直に謝ったり、共有できた時は、感謝を伝えたりして、心の中に嫌な感情はなるべくためない。
人それぞれにある能力不足を補い合ったり、補完できる仕組みや工夫を見つけたりして、個人が自分の能力不足を自分で責めるような状況をなるべく作らない。
できるならば、問題解決や目標の達成が、「私の喜び」から「私達の喜び」なるものにしていく。
具体的な実行可能なことを書いているつもりが、結局抽象的なよくわからないものになってしまったかもしれません。が、最後にひとこと。
自然に挨拶ができて、挨拶が返ってくることが嬉しくて、その嬉しさが信頼関係につながって、その信頼関係がスムーズな情報伝達になって・・・。その好循環のおおもとにあるのは、思いやりとか感謝とか愛(=相手の幸せと成長を心から願う気持ちと行動)なのだと僕は思うわけです。
今日も会えたことを感謝して笑顔で挨拶する。これが全ての始まりで、これがアサーティブ社会の始まりだと思うわけです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまあさらぼ)高橋祐紀
(群馬県を拠点に活動展開中)