アサーションに関して(9)生きづらさとリフレーミング
不満の多い人や愚痴の多い人が回りからどう思われるか、に関しては、ちょっと置いておいて。
ものごとを違った角度から捉え直すことをリフレーミングと言います。「怒りっぽい人」と言われ嫌がられている人をリフレーミングしてみると、「正義感が強い人」「自分に正直な人」「感情表現が豊かな人」「責任が強い人」と言い表せる特徴を持っている可能性があります。(納得がいかなくてもよいです。ただ、リフレーミングという概念を知っておいてください。)
不満や愚痴の多い人を、リフレーミングしてみると、周りの人よりも早く敏感に問題に気づく「課題発見力」が高いということが言えるかもしれません。そしてそれを回りに対して言葉にして発信できる力を持っているということなのかもしれません。
製造現場や建設現場のような所で、監督やリーダ的な立場にいる人には、課題発見力や課題を表現して伝える力は、必要不可欠なものです。人々を危険から守り、仕事の環境を整えていくための材料をより多く集められる能力とその取り扱い方を指南していく能力がとても重要だと言えます。
生きづらさというものを考える時、その理由の一つは社会が成熟していないという問題。人々に多様性を受けとめる気持ちがなくて、自分たちと異なった価値観の人や、今までなかった価値観を持つ人を仲間はずれにしていくような雰囲気。社会がある基準でできていて、その基準から外れる人を支援する仕組みがないこと。などなど。
そしてもう一つの理由は、個人の世界の捉え方の問題。色々なものに敏感に気づいたり反応したりする人が、そのことを感情に(特にマイナスの感情に)、すぐに結びつけてしまうことが習慣化(性格化)しているような状況。
不満とか、自分が落ち込む理由とかは見つけようと思えばいくらでも見つけることが出来ます。雨が降れば、雨は何も悪くはないのに、気分が落ち込み(気圧の影響を受ける人もいます。ごめんなさい)、横断歩道で車を停めたのに、スマホを見ていて渡らない自転車学生にイライラし、救急車が来ているのに交差点に入っていく車を陰でののしり、予定の急な変更にあきれてみたり、自分が半分しか出来ていないのに、隣の人が仕上がっていると静かに落ち込んでみたり・・・
多様性を受け入れようとする気持ちや慣用であろうとする気持ちを少しだけ上げてみて、リフレーミングすると世界が変わることもあります。この時期の雨は五月雨(さみだれ)っていうんだっけ?もう六月か?若者達はスマホ見ちゃうよね。ほら、渡って、気をつけてね。わあ、救急車の音に気づかなかったのかなあ。私も最近そういうことあるから、気をつけよう。サイレンの音が変わった。ドップなんとか効果だっけ、なんだっけ。予定の急な変更、上の人に無理なことを言われちゃったのかな。どうやったらあんなに速く仕事ができるんだろう。すみません、こつを教えてもらえませんか?
生きていく中で、変えられることと、変えられないことがあります。(ニーバーの祈り参照)。短時間で変えられることと、時間のかかることがあります。自分で変えられることと、人の力を借りる必要のあることがあります。そして人それぞれに、変えたいことと、変えたくないことを持っています。
不満を持つ自分がいて、不満を持つ相手がいて、そして、ものごとをどう捉えるかという捉え方があって、その捉え方は人それぞれ異なるという「多様性」があって、ある程度様々なものごとを受けとめることの出来る寛容さが必要で、そんなことを自分も含め、多くの人が謙虚な気持ちで考えるようになることが自然な感じになっていくこと。
なんか長く書いてしまいましたが、リフレーミングという寛容さを持ちながら、自分の思いを伝えられるアサーティブな社会に近づいて、生きづらさを減らしていくことができたらいいな、なんて思うわけです。
第9回ここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。
NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまアサラボ)高橋祐紀