アサーションに関して(1)すっごく個人的に思うこと

 このブログ。できるだけくだけた形で書きたいなって思ってます。なんか読みやすく、なんか伝わりやすく、なんか納得がいくってなったらいいな。(超難しいですね。)一人称「僕」で書きます。なんとなく。 

 ネット時代(すっごく便利になってきて、個人的には超ネット時代と感じている)、アサーションに関しての詳しいことは、検索をかけるとたくさんの人がわかりやすく説明してくれているので、省略でいいかなって。

 アサーション。伝えたいことを伝えるって話。でも伝えられないんだよね。だって、相手が怒るかもしれないし、誤解されてしまうかもしれないし、自分みたいな者の言うことなんてほとんど相手にしてくれないし・・・波風立てずに黙ってれば時間が過ぎて、なんとなく終わるだろうし。でも、気持ちの中にイライラが残ったままでいつまで過ごしていけるかな、胃も痛いし・・・。

 そんなふうに思っていたとして、じゃあ、アサーション(アサーティブな言い方)という技術を使えれば解決するのか?そこでまた思うんです。世の中には残念ながら悪い人がいるってことを。人の痛みなんて全く想像しようとさえしない人がいるってことを。アサーションなんて無力じゃん・・・

 専門家が護身術の話でこんなことを言ってました。相手が刃物を持っていたら、素手で立ち向かうのはプロでも危険だ、みたいなことを。素人の賢い選択は「逃げる」しかないんでしょうね。可能であるなら。

 刃物を「手に」もった人に立ち向かうのは無理です。そこはしっかり心にとどめておいていただいて、僕から伝えたいことは、こんなことです。

 目の前の人が必ず刃物を持った人だと決めてしまうのはどうかということ。「この人は凶暴に暴れ回る人だ!」と豊かな想像力で勝手に決めつけなくてよいこともたくさんあるわけです。

 もし、刃物をポケット(?)に持ったひとだとしても、刃物を取り出そうと思わせることなくコミュニケーションができる可能性もあるということ。

 相手に対する自分の思い方、捉え方を変えることで違った世界が展開する可能性がひとつ。技術や方法によって、展開を変えることができる可能性がひとつ。そんなことを一緒に考えていきたいなと思います。

 いつかまた書きますが、「自分自身とどう付き合うか」もとても重要な要素です。

 アサーションは万能ではないです。アサーションが実践できたり、有効であったりするのは(学びの深さや経験によると思いますが)、もしかすると、20%くらいでしかないかもしれません。もし、そうだとしても、その20%の継続と積み重ねと社会への浸透が、いつか社会全体を変えてくれることにつながったらいいな、なんて思いながら、これを読んでくれている皆さんと一緒に学んで行けたらと思っています。よろしくお願いいたします。

 では、第1回目のブログはここまで。

      NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまアサラボ)高橋祐紀       

 

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