時代雑感(4)ゆとり(余裕)
なにしろ、世の中の人々に余裕がなさすぎるように感じます。
あちこちで人手が足りなくて、人々は時間の余裕がなくて、経済的余裕がなくて、子育てに心の余裕もなくなって・・・。
経済が活発になっていく時には、多忙と不足は当然で、それは良いことなのかもしれません。社会構造的に何かが関係するのであれば、なんともいえませんが。(経済的な難しいことはわかりません)
責任の所在を明確にするために、沢山の書類を作り目を通す必要がある、そんな社会では、書類作成事務のような沢山の時間を必要とします。(必要なことなのでしょうが)
インターネットにつなぐだけでそこには沢山の楽しそうなことや、誘惑があって、気がつくと、長い時間を画面を見ることに費やしてしまう。(個人の時間管理の問題といえば、それだけですが、)
いったいどこからどうやって「ゆとり」を作り出したらいいのか、悩ましい問題です。ネット、AIなどの活用で多くのことを効率化していくと、効率化のやり方によっては、人から心の余裕、「実は大切な無駄」みたいなものを奪ってしまうこともありそうです。(会議と会議の間の雑談とか、画面と対面で異なる脳の反応の違いからくるストレスとか)
なにかがとても「いびつ」なまま進んでいると、僕は思ってしまいます。補完し合いながら喜びを感じていくような「人々の持ついびつさ」ではなくて、誰かの利益のために、偏った幸せ感を植え付けられているような「いびつさ」。
便利さを基盤として「当然のようにある便利さの上に乗っかっている幸せ」を当然だと思うのではなくて、自分の求める幸せは何かを知った上で、「どの便利さを選択し、どの便利さを切り捨てていくか」ということも必要なのだと思います。
ただ、世の中の人とある程度足並みをそろえていかないと、面倒な迷惑な存在になってしまうということも知っておいて行動する必要はあるでしょうが。
余裕を作り出したいです。せめて、自分の心に。せめて、人との関係の中に。そして、そんな余裕が、世の中全体ににじみ出して広がって、人々の笑顔につながっていって、そしてそして、そんな人々の笑顔に出会って、自分の中にさらに「心のゆとり」が生まれるような、そんな好循環につながって、居心地のよい世の中になっていったらいいな、と思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまあさらぼ)高橋祐紀