アサーション(13)いじめとアサーション
個性をもつことが大切・・・な場合もある。目立たないことが大事・・・な時もある。「がんばれ」とは言わない方がよい・・・こともある。大きな夢をもつことが大事・・・なことも多い。
ある時期、「がんばれ」という言葉がまるで悪い言葉のように言われていたことがあったように思います。がんばれという言葉をかけられて、つらくくなる人もいれば、がんばれという言葉に力をもらって努力を続けたり、力を存分に発揮するきっかけにできる人もいたでしょう。
同じ言葉が、状況や相手の精神状態によって、まったく違った効果を生み出して、良くもなり悪くもなるのですが、なぜか、言葉に良いか悪いかどちらか一方の強力な「レッテル」を貼り付けて、状況など関係なく、その言葉を使う人を寄ってたかって悪者扱いするようなことが起きてしまいます。なぜ、そんなことが起きるのか?そこには人々の真面目さや正義感も強く関係しているでしょう。(言葉を使う側の配慮のなさとかももちろんあります)そして集団心理やら、匿名性やらも関係して、個人が広い世界に向けて表現し発信できるネット、SNS時代には「特に」かもしれません。(ここでは言葉だけに関して書きました)
子どもたちだけでなく、大人に関しても、いじめの問題は複雑さもあるので難しいのですが、コミュニケーションの部分に関して書いてみます。(仮説です。根拠〈エビデンス〉は乏しいです)
言葉を正しく伝え合うことができているかという問題があります。が、まずは、自分自身の気持ちをしっかりと言葉として捉えることができているかという問題があります。いじめる側もいじめられる側も、それ以外のすべての人にとっての問題です。自分自身とのコミュニケーションという意味で、セルフコミュニケーションと言いますが、セルフコミュニケーションをするためには、子どもの頃から沢山の言葉に触れて、自分や相手の気持ちを言葉として捉え、伝えられることが望ましいです。
言葉を学びつつ、「言ってもいい」「聴いてもらえる」という人間関係を作ることを、まだ言葉が未熟な年齢の頃から失敗を繰り返しながら学んでいき、
さらに「言い方がある」「聴き方がある」ということを学んでいくのではないでしょうか?
極端かもしれませんが、その延長線上に「自分も生きている」「相手も生きている」「自分も大切にする」「相手も大切にする」ということがあって、
さらに飛躍しますが、「自分にとって良くて、相手にとっても良い」ことが『最も幸せな感覚を手に入れやすいのではないか』とつながっていったらいいな、と思います。
いじめの問題は目の前に起きている問題を解決するために、短期的な対症療法も重要ですが、アサーティブな人間関係を作っていくためのタネを小さい頃に蒔いておくという、長期的な視点も重要だと思っています。
なんか難しい話になってしまった気がします。少し目を休めつつ、今朝の景色のことなど。雨上がり。雲の切れ間からところどころ青空がのぞいています。麦が黄金色です。麦秋かな(これ、春の季語だったか)。23℃。窓からの涼しい風が気持ちいいです。微妙に落ち込み気味だった気持ちが少し爽やかな気持ちに包まれている気がします。
言葉で伝えてみました。
今日はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。
NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまアサラボ)高橋祐紀