アサーティブに!(31)誰の手柄か?
これ、けっこう厳しい話。
コーチングにおいてコーチはクライアント(相談に来た人)が成果を出したことを自分の手柄にしない、という基本があります。コーチはあくまでもきっかけを作り寄り添う伴走者であって、考え行動し成果に結びつけたのはクライアントです。
コーチを上司、クライアントを部下に置き換えると、「成果を出したのは部下であって、上司はきっかけを与えた人に過ぎない」となります。
自分のアイデアを奪ってしまう上司とか、ちょっとひどい場合はありますが、「上司はきっかけを与える人に過ぎない」なんていうと、それはもう神様みたいな人になってしまうので、部下が納得する範囲で、「力を合わせてやっている」くらいで良いのかなとは思いますが。少し付け加えると、「部下は自分の支配下にある」なんて感覚を持っている上司がいたら、それは関係として、かなり危うい状態だと思います。
子育ての場合はどうでしょうか?
子どもが自分で考え行動し、変化し成長していく。小さいうちは、様々な躾が必要でしょうが、やがて自我が芽生え、独立した個人として「自立」していく。
「子どもが優秀になったのは私の手柄だ」と親がいつまでも思っているとしたら、それは「子どもは自分の支配下にある」という感覚に近く、自立は阻害されてしまうように思います。どこかで手柄を手放す必要があります。
なかなか厳しい話かもしれませんが、心の中にある「良い上司、良い親、良い教師」として認められたいという承認の欲求をどこかで手放す必要があるかもしれないのです。誰にも認められなくても、日々学びながら自分を客観視しながら、やれることをやる。自分の行動が誰かの笑顔につながっていたり、自分と関わった人が成長していく姿を目にしたりしながら、自分が人の役に立っていることを喜びにしていくことが大切なのだと思うのです。(参考:アドラー心理学 ー 他者貢献、課題の分離)
私は私の役割をこなす。あなたはあなたの役割をこなす。私は私の人生を生きている。あなたはあなたの人生を生きている。私はあなたの人生を生きることはできない。あなたの人生の責任をとることはできない。私はあなたの人生の応援をすることはできる。あなたを励ますことはできる。だから、本気で心から、あなたの人生を応援し、励ます。
人と人との間には「あなた」と「私」を隔てる境界線があって、その境界を越えることはできなくて、越えようとしてはいけない(尊重)もので、そこでできるのは「関わる」ということだけ。「尊重」と「関わり」。アサーションのキーワードでもありますが、より理解を進めるために、さらにさらに考え、学んでいこうと思います。
少し涼しくなあれ、と昨日祈ってみたので、今日は少し涼しくなりそうです。僕のおかげです。僕の手柄ですので、皆さん認めてください!!!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまあさらぼ)
(群馬県を拠点に活動)