アサーション(18)子育てとアサーション・プチ

 赤い絵の具と青い絵の具を同じだけ混ぜてかき回すと、紫になるはずなのに、どうしても黄色くなってしまう。別の時に同じことをすると、どうしても緑色になってしまう。

 子育てって、そんなものかもしれない、って思います。親が「子育ての方法」という原因を与えると、結果として「こんな子どもになる」なんて残念ながらわかりません。

 でも、もしもそこに原因と結果の確かな法則性があったとして、親の望む通りの子どもに育ったとしたら、親の望みの範囲を決して越えることのない子どもになる可能性もあるわけです。親への依存体質を強く持ったまま、よい子でいるけれど、精神的な部分での責任を親が背負ったまま、うまくいかないことを親の責任にしたり、親でなくてもひとのせいにしたりする人になる可能性もあるわけです。

 知識や経験がまだ未熟だし、優しさ思いやりと関係する脳の発達もまだ途中ではあるかもしれないけれど、子どもは親の所有物ではなく、いつか親から離れて生きていく一人の独立した存在。子どもにどうなってほしいと親が望むかよりも、親として何を支援できるかを長期的な視点で考えていくことが、きっと大切。

 この社会、残念ながら、ひどいことも沢山おきる社会です。ひどい人もたくさんいる社会です。難しいことですが、この社会を生きる力を身につけてもらうには、苦労をさせる必要もあるかもしれません。苦しく悲しい経験から守りすぎてしまうことが返って子どもの将来を奪うことにつながることもあるのかもしれません。

 子どもたちの涙も笑顔も、その全部をひっくるめて、話を聴いてあげること、そして、話してもいいんだよ。ということ。そして、親が押しつけることなく自分の意見を伝えること、さらに、親の意見が絶対ではないということを伝え、失敗してもいいから自分の思うように生きてみろと、時には言える覚悟を持つこと。

 言葉を伝え合いながら、ある意味での「アサーティブな親子関係」を作っていくことを大切にする必要があると思うのです。

 黒と黒をまぜるとやっぱり黒かもしれません。赤と青が、何色になるかわかりませんが、それでも明るい色と明るい色を混ぜれば、せめて明るい色になるだろう、ということを信じていたいなという気はします。

今日はこれまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまアサラボ)高橋祐紀

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