アサーション(14)ひとの弱さ
「あの人はプライドが高い」という時、この言葉には色々な解釈がありそうですが、例えば。着ているもの、持っているもの、利用するもの、すべてがきらびやかなゴージャスな人がいたとして、それらのものすべてに対して、ちょっとでもケチをつけると、烈火のごとく怒るとしたら。こういう人をプライドが高い人って言います?合ってますか?
めちゃくちゃ頑丈に建てられた城は、ちょっとくらい叩いても、びくともしないし、傷つきもしない。細い柱と薄い壁をいい加減な基礎の上にのせてつくられた城は、ちょっとでも叩くと、城主が烈火のごとく怒る。
逃げることなく、自分のことを顧みず人を助けることができるような「高潔」という意味の良いプライドの高さというのもあると思うし、そうなりたいなとは思いますが、僕自身のプライドは、表面を飾って強そうに偉そうに見せるだけのもの以上ではないように思います。自己肯定感の低さを隠すために、持ち物や知識や言葉を知ったかぶりするように外に見せて、一人前の顔をしてみせる。なんて・・・。ま、自分のことは置いておいて。
きっと、人は弱い。弱いから自分を守る。守らないと壊れてしまうから自分を守る。守り方がそれぞれ違たり、守り方がその都度違ったりする。守るために言い訳をする。守るために、人を攻撃する。守るために、自分を大きく見せようとする。守るために殻に閉じこもる。
でも、なぜ守る必要があるかって、傷つけられる可能性があるからですよね。相手が攻撃をしてくることもあれば、攻撃をするつもりがないのに、たまたまぶつかってしまう手によって傷ついてしまうこともある。そしてきっと、傷つきやすさの度合いが高い人ほど、防御の高さを高くしなければならなくなる。攻撃は最大の防御だと考えて、攻撃的になる人も出てくる。
ひどい状況の中にいる人に、こんなことは言えませんが、「多くの人はとても弱く傷つきやすい」という前提からスタートする必要があるような気もします。
そして、人と人が意見や考えや言葉でぶつかり合うことが、傷つけ合いではなく、前へ進んでいくための「助け合い」につながる過程であると思えるようになって、言葉の奥にはきちんとお互いを尊重する気持ちがあることを信じ合うことが当たり前になるような、そんな人間関係が広がっていってほしいなと思います。
なんて、やっぱり言葉を飾ってしまっている自分がいるかも。
ということでおしまい。最後まで読んでいただきありがとうございました。
NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまアサラボ)高橋祐紀 in 松本