アサーティブに!(35)人権と心の成長

 腕力で、言葉で、態度で、強いものが弱いものに力を振るう。人々は長い長い期間、学び続けているけれど、そんな状況は残り続けているようです。家庭においても、沢山のそんな例があるようです。

 親が子どもを自分の持ちもののように扱う。子どもの意思ではなく、親の意思のままに子どもが生きることを当たり前として、素直に従うことをもっとも良いことだと考えて、子どもの意見を奪っていく。そんな状況もたくさんあるようです。

 単に間違えただけの店員を執拗に激しく責め立てる人。「これ、違っています」と静かに伝えるだけですむ話が、何かの鬱憤を晴らすように攻撃的になる人。そんな人達もいて、特にネットの世界では、気軽に攻撃的な言葉を書き込む人も多くいるようです。

 言葉はとても簡単です。

 性別に関係なく、人権がある。年齢に関係なく人権がある。住んでいる地域に関係なく人権がある。している仕事に関係なく人権がある。収入に関係なく人権がある。人種に関係なく人権がある。言葉としては、それだけのことだけれど、誰かが自分に対して威張って、人格を否定されたと感じた人は、やがて別の機会に別の関係において、鬱憤を晴らすように、誰かの人格否定をして、自分が上に立つ満足感を得ようとする。

 そんなことがずっとずっと連鎖し繰り返され、自分が正義だと信じて、不正義を裁いてよいということがまるで習慣のようになっていると感じることがあります。誰かが不正義だと言えば、それは確認されることなく、誰かの裁きにあう。ネットの中では匿名の人達に状況の確認もなく裁かれ、つるし上げられる。

 会社の中でも、行動の元にあった様々な考え方が確認されることなく、叱責にあったり、誤解されたまま、広まっていったりする。

 なんだか救いのない世界がずっと展開され続けているような気がします。どうしたらいいのでしょうか?

 学ぶ。しかないのでしょうね。逆の立場だったら自分はどう思うかということを。かつての自分はどうだったか思い出してみるということを。ひとは自分のことを思ってくれる人に対して素直になれるということを。怒りの前には、怒りと萎縮しかないということを。言葉では伝わらないことが沢山あるということを。思っていることを伝えることはとても難しいということを。話し方が適切でないのと同じく、聴き方や理解の仕方が適切でないこともあるということを。

 学ぶ。しかないのだと思います。言葉にして伝えるということを。確認をしながら、相手を理解しようとすることが大切だということを。自分の意見を伝えること、相手の意見を受け取ることの両方がとても大切だということを。

 何度も何度も書いてしまうテーマなのですが、一人でも多くの人が、そして社会全体の人が、そういうことの大切さにきちんと気づき、小さな行動として実践していくことでしか、社会の中にある様々な問題は解決されないのかもしれないと思ってしまうのです。全ての基礎となるコミュニケーションの底上げなしには何も始まらないと思うのです。

 様々な人に会いながら、様々な生活の場面の話を聞きながら、アサーションという考え方が、生きやすい世の中を作っていくことの重要な要素になり得ると日々感じるのです。

 まとまりのない強い文になってしまいました。なんか、静かに自然な感じでアサーションって言葉がひろまってくれたらいいな、って思うんですけどね。

 暑い日が続いています。暑さによってイライラしたりもしますが、人を傷つけるようなことにつながらないようにしたいものです。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

NPO法人ぐんまアサーションラボ(ぐんまあさらぼ)

群馬県藤岡市にて

  

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