言葉はなかなか正しく伝わりませんが、それでも言葉にしなければ伝わらない。心を読み合うような人間関係から、言葉で伝え合うコミュニケーションを重視していくこと。それがアサーティブであるということの大切な要素だと考えています。

ただ忘れてならないのは、言葉は伝えるための重要な道具であると同時に、人に生きる力を与える力を持つものであり、それだけでなく時に強力な凶器にもなるということです。そして、さらに厄介なのは、伝える側が励ましや感謝を伝えても、受け取る側で馬鹿にしているとか皮肉だとかと受けとめてしまうことも起きるということです。

アサーティブな社会を創っていくためには、伝える側と受け取る側のずれを少なくしていくことが重要です。そして何よりも多様な価値観を認め合えること、お互いの人格を尊重することが重要です。

世の中には残念ながら、故意に人をさげすんだり傷つけたりする人がいます。こういう人達から身を守るには、逃げることも必要ですし、力に屈せずに対抗出来る人の助けを借りることも必要です。社会的な正義としての権力や法律に頼らざるを得ないこともあります。

社会全体をアサーティブにしていくことを考える時に大切なことは、傷つけるつもりはないのに言葉のすれ違いや伝え方の技術不足で、結果的に傷つけ傷つけられるという現実を、まずは減らしていくことです。アサーションという方法があることをより多くの人が知って、仕事場や学校や、家庭やその他のコミュニケーションの場に心理的に安全な場所を築くことが、お互いに『生きやすさ』を創ることだということを実感し実践していってほしいと思うのです。

未来へ向けて

インターネットの普及によって、誰もが発言の機会を持つことが出来る時代になり、LINEなどのようなスピード感のある文字コミュニケーション、リモートワークの画面越しのコミュニケーション、メタバースのようなアバターによるVR空間でのコミュニケーション、ツイッター、インスタグラム、youtubeなどなど、コミュニケーションの形も様々になりました。

手紙、対面、電話も含め、それぞれのコミュニケーションには、それぞれの良さ悪さ、得意不得意とするものがあります。

自分も相手も尊重し大切にしながら、自分の気持ちや希望を伝えていくアサーションは多くのコミュニケーションの基礎となる部分だと考えていますが、アサーションという考えや技術が広く普及させるということは単に手段であって、最終目的ではありません。

私達が最終目的とするものは、多くの人が、人との関わり合いの中で「生きづらさ」を感じずにすむ状態に社会が進んでいくことです。意見が合わなくても、話し合いがこじれても、それは様々な価値観を持つ人が一生懸命に生きようする時には極々自然に起こることだということを多くの人が理解できるようになることが大切だと思うのです。

残念ながら、環境、能力、価値観、意見などの違いに関して、人格を否定するような言葉や、相手の状況や気持ちを聴くことさえしないような態度によって、一生懸命に生きようとする姿勢が失われてしまい、不信感ややる気の喪失などの負の悪循環に入っている状態が世の中には多く見られます。

子どもも大人も、上司も部下も、先生も生徒も、家庭の中でも安心して思いを伝え、聴いてもらえる世の中になって、少しでも多くの人がコミュニケーションのストレスから解放される未来を目指して、活動していきたいと思っています。